日雇い労働者だった赤髪エンジニアがクックパッド技術部長になるまでのストーリー

日本国内はもちろん、世界的な知名度を誇る料理レシピ投稿・検索サービス「クックパッド」。

そんなクックパッドで一際異彩を放つのが、クックパッド株式会社 ”赤髪のエンジニア” 庄司 嘉織(しょうじ よしおり)さん。

同社の技術部長兼エンジニア統括マネージャを担い、過去には人事部長も経験。

しかし、その風貌はまるでパンクバンドのギタリストのような赤髪です。

高校にまともに通わず、大学も中退。25歳まで日雇いで食いつなぎ、フリーターからの一発逆転を狙って20代半ばからプログラミングを学習した過去を持っています。

そんな庄司さんに、破天荒なキャリアについて聞きました。

日本発クックパッドの海外展開 現地ユーザーによるレシピ投稿へのこだわり

――クックパッドは今や国内はもちろん、海外でも人気のウェブサービスですよね。国内と海外、それぞれ月間の利用者数は、どれくらいなのでしょう?

国内の月間利用者が約5500万人。海外が3000万人以上です。海外利用者数が早く国内の数を抜いてほしいなと思っています。

対応言語数は、68か国・23言語です。

――いずれも、すごい数字ですね。日本発のサービスを、海外対応させるときに大切なことは何だと思いますか?

単に日本語を現地の言葉に翻訳すればOK、ではなく「文化の違い」への対応が重要だと思っています。

特にクックパッドはレシピ、料理を扱うサービスです。同じ英語の国でも、イギリスとアメリカで食べるものは違いますし、中東では宗教上「食べていいもの」も異なります。

食材事情も、国によってそれぞれ違うんですよね。レシピで大事なことは、現地の人が現地で比較的簡単に手に入る食材であること。

日本だとかつおぶしは簡単に手に入りますけど、ほかの国ではそうではない。そのあたりをしっかり考えるようにしてきました。

――すると、ある国のユーザーが別の国のクックパッドのレシピを見ることもできないのでしょうか?

実際、がんばって探せば見れないこともないのですが、手間がかかります。見つけにくいようにデザインしているんです。

簡単に見れてしまうと、宗教上食べてはいけない食材のレシピが出たりする。それってユーザーにとっては価値がないものになりますよね。

真っ赤な髪の異端エンジニア 25歳で赤髪に変身した理由

――ずっと気になっていたことを率直に聞かせてください。庄司さんは、どうして髪を赤く染めているのですか?

ああ、これね(笑)

25歳の時に組み込みエンジニアとして、外資系企業に入ったんですよ。当時の僕は、まだまだエンジニアとして実力がなかったし、しかも外資だから大変で……。

しまいには上司であるCTOから「お前は技術的に何も尖っているものがないし、外国人から見て東洋人は顔の見分けがつかない。だから髪を染めてみろ」と言われたんです。評価面談のたびに「次は青な」とか「次、銀」などと言われ染めていきました(笑)

ある時、赤にしたんですよ。そしたら「おお、似合ってるじゃないか」ということになって。以来、ずっと髪は赤ですね。

――なんと意外な理由!思っていたよりしっかり背景があったんですね。
さて、25歳で組み込みエンジニアになったとのことですが、もともとはプログラミングをしていなかったのでしょうか?

していないです。幼少期もプログラミング教育など一切やっていなかったですね。

ただ、小さなころからレゴが好きで母親がよく買ってくれたんですよ。それが自分にとって「組み立てる」という意味で今のプログラミング思考にすごく役立っているのかもなぁと思います。あと、漫画以外ならいいよ、と本もよく買ってくれました。だから本をよく読んでいて、今でも本は好きですね。

とはいえ、僕は基本的にはダメな子で。特に高校生の頃は、世間的な基準ではグレていました。悪いことばかりしていて、学校はまともに行っていなくて、進級できないような状況。底辺でしたね。

ただ、数学だけは得意でした。数学は、パズルみたいで楽しかったので。

例えば図形の台形の面積の求め方も、公式を覚えるのは嫌いでしたけど、台形の形を見て「ああ、こういう形だからこういう公式になるんだな」と理解するのが好きでした。

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高校卒業の危機 大学もすぐに行かなくなり日雇いや手伝いで食いつなぐ日々

――高校卒業後は、どのような道に進まれたのでしょう。

そもそも高校すら卒業できないくらい、危ない状況でした。単位が足りなかったんですよ。でも先生には「大学に受かったら卒業させてやる」と言われて(笑)それで、大学進学を真剣に考え出したんです。

校内の偏差値表を見たら、熊本の大学と沖縄の大学があって。熊本と沖縄なら、沖縄の方が楽しそうじゃないですか。だから沖縄の大学に決めて受験したら、受かったんですね。

でも大学の入学式には、さっそく寝坊して遅刻しました。大学って、入学式に出ないと授業の履修方法すら分からないんですよね(笑)結局、すぐに行かなくなり退学しました。

――大事なことへの意思決定の方法がとてもカジュアルですね・・・(笑)大学に行かない間は、何をしていたのですか?

主にバーテンダーの仕事です。でもしばらくしたら、家に帰って来いと母親に言われたんですよ。その頃、離婚した父親が家にお金を入れなくなったので。

で、急いで仕事探さなきゃいけないので、近所の宅配寿司屋で働いてました。まぁフルタイムのアルバイトは重宝されたので宅配だけじゃなく、事務とか経営側の作業も少し覚えていくと「お前もそろそろ店を持つか?」と言われたんです。だけど、僕は別に寿司屋にはなりたいわけではない(笑)ということで、辞めることにしました。

あとは日雇いでしたね。フリーターです。割のいいバイトないかなと思って仕事を探しているうちに「ITが給料いいらしい」と聞いて、IT関係の導入サポートをやるようになったんです。当時はWindows 95が発売されて、第一次ITブームでした。

その数年後、2000年問題に直面しました。当時、僕は25歳でした。

――「2000年問題」(※1)という言葉を、メディアで目にしたことはあっても「当時、何が問題とされていたのか」を知らない人は多いと思います。
<編集部注>(※1 )西暦2000年になるとコンピュータが誤動作する可能性があるとされた問題。コンピュータが年数を下2桁で処理。1999年(99)から2000年(00)になることでデータベースの順序が狂い、公共機関も含むシステムの大規模なトラブルが起きると予測されていました。

そうですよね。当時「2000年問題」って本当に大変な問題だったんです。なぜかというと日本が時差の関係で、先進国で初めて2000年になる国でした。だからほかの国の事例もなくて、そもそも何が起こるかがわからない、と。

公共交通機関のシステムの総入れ替えもやりましたね。最後の3か月は完全に休みが無くて、いい額の給料はどんどん入るけど休みがないという。やっと仕事が一段落した時に、正直に言って「自分はいつまでこんな働き方を続けるんだろう・・・」と思って考え込みました。

そんな時、もうちょっとクリエイティブな仕事をやりたいなと思い始め、プログラマーという仕事に魅力を感じたんですね。でも25歳だし、未経験だし、雇ってくれる会社なんてない。でもそんな時に偶然出会ったのが、先にお話しした外資系企業のCTOでした。

その人に「やる気があるなら、うちの会社に来い」と言われて転職したんです。ところが、入った会社のレベルが高くてすぐに挫折しそうでした。

コンピューターの部品が会社に置いてあって、部品を組み立てるところからスタートなんですよ。CPU挿して、メモリ挿して、最後にOSをインストールするんですけど、OSはLinuxで。僕はWindowsしか触ったことがなかったし本当にきつかった(笑)

フリーターからの一発逆転に向け、25歳でゼロからプログラミング学習

――25歳でゼロからプログラミング学習をするのは、つらいことも多かったのでは?

当時は本当にダメエンジニアだったので、上司はイライラしていたと思います。今でも会った時には、いかに当時の僕がダメ人間だったかという話題になります(笑)

――本当にプログラマーとしてやっていけるのか、不安も多かったのではないでしょうか。

もちろん不安でしたね。でもどんな時も上司には恵まれていました。それは今でも幸運だったと感じます。

ある時、大阪の松下(※現:Panasonic)で、1ヶ月常駐で働くことになったんです。その時は、特に不安が大きくて。プログラミング自体を覚えたての初心者でしたし、行き先がいきなり大企業なんて緊張しかない。

そんな時に、上司に「何も不安がることなんてないぞ。おまえがミスしたところでお前の上司が謝ればいいだけだし、それでもだめなら俺が土下座でもなんでもしてやる!好きに暴れて来い!」と。すごく気が楽になりました。

――とてもかっこいい上司ですね!

その人に受けた影響は、本当に大きいです。「上司ってこういうものなんだ」と思いました。自分がマネジメントをする時は、その人の振る舞いを意識している部分もあります。

ハチャメチャな人でしたけどね。朝方の3時4時まで銀座のクラブや築地で遊ぶことに連れまわされて。しかも「普段遅刻するのはいい、でも飲みにいった次の日は絶対に遅刻するな。」といわれていたので辛かったですよ(笑)

――おもしろいですね(笑)では、プログラミングを楽しいと思うようになったのは、いつ頃ですか?

25歳から27歳にかけての時間が、1つのブレークスルーでした。なんというか、知識として個別に学んでいた事が脳内で繋がるというか、ある時突然「あ、そういう事なのか!だからこれもこういう事か!」と分かるようになって、それからはプログラミングが一気に楽しくなりましたし、自信もつきました。

いまも昔もすごくシンプルです。初めてプログラミングをして hello,world と表示された時に感じた「楽しい!」という気持ち。

コードを書いて、思った通りに動いたのを見て「やったー!」と感じる。それだけなんです。

しかも、会社にいると適切な難易度の問題が適度に降ってきて、それを解いていくとお金がもらえるわけです。こんなに楽しい仕事ってないですよ。やること自体は「トラフィックがどう・・・」とかだんだん複雑にはなっていくんですけどね。

30代半ばで日本No.1のRuby企業「クックパッド」へ JavaからRubyにスキルチェンジ

――クックパッドにはどう入社したのでしょう?

何社か転職をしているんですけど、少し大きなSIの会社で働いていたときに「SI以外の会社で働きたいな」とふと思って。そうしてドワンゴに転職したんですよ。

ドワンゴでは着メロの売上金額を計算する裏側のシステムを作り、そのあと電子書籍のシステムを作りました。まだkindleも日本に来てなかった頃です。電子書籍のシステムを1から開発して、そのまま1年くらい運用した後は、また転職活動を始めました。35歳から36歳にかけての時期ですね。

僕はずっとJavaを書いてた人間なんですけど、年齢を重ねるうちに自分のソースコードに指摘をしてくれる人が少なくなってしまって。それってエンジニアにとっては、あまりおもしろくないことなんですよ。

一方で、僕はまだRubyを仕事で書いたことはなかったんです。

クックパッドは日本有数のRubyの会社で、素晴らしいRubyistが集まっています。そうした環境でRubyができるのはすごく魅力的だし、その環境で認められたらエンジニアとして少し自信がつくかなと思い、転職を決めました。

――実際、30代半ばからRubyをはじめてみてどうでしたか?

あんまり言語の違いって大きなものではないなって思いましたね。結局大事なところは何をどうやって解決するかとか設計とかそういうものですし、言語に依存する部分ってそこまで大きくないな、と。

だからRubyを仕事で初めて書くとなっても、そこまで壁は感じなかったです。

asami81 asami81
桜口アサミです。TECH::NOTE編集長をやっています。関西人。 大学卒業後に渡米しオーペア(ベビーシッター)として働きながら1年間滞在。帰国後OLをしながら個人ブログ運営やWebサービスをつくってました。Movable Type なつかしい…。その後 nanapi というハウツーサイトの立ち上げメンバーになり、2年くらい東京で過ごしました。2011年に長男出産のため関西に戻り、そこから6年程在宅中心で働いていました。2017年7月div入社。 「どんなときも幸せかどうかは自分が決める」というテーマで人生を過ごしています。
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