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『Pokémon GO』開発者・野村達雄氏が語るキャリアの転機――ギークなエンジニアからプロダクトマネジャーへ

更新: 2019.11.08

『Pokémon GO』を開発した日本人エンジニア・野村達雄の名前を知らない人はいないだろう。

圧倒的な技術力と発想力を兼ね備えた野村氏の半生は、自著『ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる』(小学館集英社プロダクション)に詳しいが、彼のモノづくり人生を支える原動力、そして転機とは何だったのか?

現在、Pokémon GOのプロダクトマネジャーとしてさらに活躍の場を広げている野村氏に、これまでのキャリアとこれからの挑戦について聞いた。

<プロフィール>Niantic, Inc. シニアプロダクトマネージャー Pokémon GO ゲームディレクター 野村達雄(のむら たつお)氏
Niantic, Inc.(ナイアンティック社)の『ポケモン GO』のゲームディレクターおよび、プロダクト部門のシニアマネジャー。ナイアンティック社入社以前は、Googleにて、Google マップに関わるソフトウェアエンジニアとして経験を積んだ。また、Google マップ上の話題のエイプリルフールプロジェクトである、「Google マップ 8 ビット」、 「宝探しモード」、「ポケモンチャレンジ」なども仕掛けた実績を持つ。Google マップの関連事業に4年間従事し、「ポケモンチャレンジ」に取り組んだことをきっかけに、2015年、当時Googleの社内ベンチャーであったNiantic Labsに参画。GoogleからNiantic, Inc.として独立した後は、16年7月に配信された『ポケモン GO』の開発を担当している

ポケモンとの“初めての出会い”と“再会”

僕は中国の文字通り「ど田舎」で生まれたんですが、9歳の時に日本へ移住しました。そして小学校の友達の家でゲームボーイで遊ばせてもらった時、初めてポケモンと出会ったのです。あまりの面白さにどハマりしたのをよく覚えています。

ゲームをきっかけに、その仕組みが知りたくなってパソコンにも興味を持つようになりました。中学の時に新聞配達でためたお金で初めて自分のパソコンを手に入れ、そこからプログラミングを始めて、あっという間に夢中になりました。

中学から高校にかけて、Perl、VB、C++、Javaなどを独学でどんどん学んでいきました。面白くて、その裏側の仕組みが知りたくなって、学んではまた試し……好奇心が原動力なので、とにかく楽しかったです。これが僕のエンジニア人生のスタートでした。

野村達雄氏

それから信州大学と東京工業大学の大学院で、コンピュータについて学びました。大学院の1年目に、Google Japanのインターンシップに参加したことを機に、2011年に同社へ入社することになりました。

1年半ほどGoogle マップのエンジニアとして働き、その間にエイプリルフール企画としてドラクエ風の地図を表示するイベントなどを手掛けました。13年1月からは、米国シリコンバレーのGoogle本社に移り、引き続きGoogle マップ開発を担当しました。

そして米国に来てから1年が経とうとしていた12月頃、翌年のエイプリルフール企画の検討をしていた際、ある日、「Google マップ上でポケモンを捕まえたら面白いんじゃないか?」というアイディアを思い付いたんです。

早速デモを作成してみんなに見せて回り、好評を得てプロジェクトが本格始動。14年4月、『ポケモンチャレンジ』というエイプリルフール企画を開催し、かなりの人気を集めました。これが子どもの頃大好きだったポケモンとの“初仕事”です(笑)。

ポケモンチャレンジのローンチ前、当時Googleの社内スタートアップだったNiantic Labs創業者のジョン・ハンケ(現Niantic, Inc.のCEO)と、UX/Visual Designerだった川島(現アジア統括本部長およびエグゼクティブプロデューサー)たちが、社内向けに作ったデモを見て声を掛けてくれました。Niantic Labsは当時、位置情報を使って実世界で行う陣地取りゲーム『イングレス』を提供していました。「ポケモンを使ってイングレスのように実世界でプレーするゲームが作れないか?」と言われ、僕はとてもワクワクして、これに賛同したのです。

その後、正式に『Pokémon GO』のプロジェクトがスタートしたタイミングでNiantic Labsに移籍。それから1年ほど後、Niantic Labs はGoogleから独立し、現在のNiantic, Inc.となりました。

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いちエンジニアから、よりインパクトの大きい役割を担う存在へ

現在、僕はプロダクトマネジャーという仕事をしています。チームをまとめて方向性をつくり、仲間たちと一緒にプロダクトを開発する。こうしたプロセスをリードする役割です。

Nianticに入社した当初は、これからもエンジニアとして仕事をしたいと思っていました。

しかし、当初は数人程度だったPokémon GOのプロジェクトチームも、その後、次第に規模が大きくなっていきました。Pokémon GOというプロダクト全体に目配りし、責任を持って育てていくためには、僕がプロダクトマネジャーを務める必要があると考えたのです。

野村達雄氏

エンジニアとしてコードを書くのは大好きですが、よりインパクトの大きい役割を担うにはエンジニアのままでは難しい。覚悟を決めてプロダクトマネジャーになりました。

ただ、気持ちとしては今でもいちエンジニアのつもりですし、時間を見つけてはコードを書いています。職務としての要請からではなく、自分の情熱がそうさせているんです。

自分にマネジメントが向いているかは分かりませんが、自分がマネジメントされていた時の気持ちを忘れないことが大事だと思っています。マネジャーのもとで部下として働いていた時、自分はどんなことを感じ、何に困っていたか。日々それを思い出しながら、プロジェクトメンバーたちと接しています。

Google マップの仕事をしていた時、印象的な出来事がありました。ある時、マイケルという新しいマネジャーが着任して、1対1のミーティングを持ったんです。簡単な自己紹介の後でマイケルは「タツオは、オレのために仕事をするわけじゃない。オレが、タツオのために仕事をする」と言いました。僕の業務がスムーズにいくため、また僕のキャリアを成功させるために、自分はいるのだと。

この言葉にはすごく感激しました。「これがマネジャーのあるべき姿だ」と思いました。

実際、言葉だけではなく、マイケルはそれを実践していました。困っていることがあれば徹底的にサポートしてくれる、頼れる存在でした。マネジャーとは、“命令する人”ではなく、“チームにとって何が最良かを言える人”なのだと、この時彼から学びました。

その後、Nianticでは今の上司に当たる河合敬一に出会いました。河合のマネジメントスタイルもよく似ていて、僕が困っている時にはしっかりサポートしてくれます。プロダクトマネージャーになって、右も左もわからない僕に仕事のやり方を教えてくれたのも河合です。河合がいなかったらPokémon GOはできなかったと思います。

2人から学んだことを、Pokémon GOのチームの中で活かしていきたいと思っています。

大きなチームをリードし、プロダクトを育てていくという挑戦

Pokémon GOは確かに多くのユーザーに支持されるプロダクトになりました。しかし、「大ヒット」は、ずっと続くものではありません。現在は、使い続けてくれているユーザーへどう価値を提供し続けるか、また新たなユーザーをどう増やしていくかを考えるフェーズに来ています。

プロダクトが成長していけるよう、イベントやキャンペーンを企画することも、僕の大事な仕事です。ユーザーをいかに楽しませるか、どうすればより多くのユーザーに楽しんでもらえるか、そればかりを考えています。

昨年8月に横浜で行われたPokémon GOのイベントでは、1週間ほどの期間中に約200万人の方が集まってくれました。僕はスタジアムの中に入って、ミュウツーとバトルするイベントで指揮にあたりました。そこでは、何か困っているユーザーがいれば、近付いて「どうしました?」と聞き、解決のお手伝いをするということもしていました。

イベント終了間近に、ある女性ユーザーが「つながらない」と言って困っていました。やっと解決した時には、既にもう終了時刻の直前。ミュウツーとバトルして勝つためには、ある程度の人数のユーザーが協力する必要があります。多くのユーザーが帰り始めている中、僕はスタジム中を駆け回っていろいろな人に声を掛け、「一緒にやりませんか?」と誘って、彼女を含めて15人くらいでミュウツーとバトルしました。「せーの!」という掛け声でゲームを始めて、最後は全員がミュウツーをゲット。みんな、喜んで帰ってくれました。

また、お叱りの声もあれば、誉めていただける時もあります。「これまで、家に引き籠もってばかりいたけれど、Pokémon GOで遊ぶようになってからよく外出するようになりました」とか、「他人とのコミュニケーションが苦でなくなった。人生が変わりました」といった手紙を、本人やご家族からいただいたこともあります。

野村達雄氏

こんなふうに、ユーザーの皆さんの良い思い出になった出来事や、笑顔になれた体験のお手伝いができた時、僕はとても満たされた気持ちになります。誰かの人生に少しでもプラスの影響を与えることができたとすれば、これほどうれしいことはありません。

昨年から、Pokémon GOのチームメンバーの拡充に取り組んでいます。

それにより、もっと多くの機能の追加や、改善を素早く実行できる体制をつくる。チームのサイズは大きくなり、開発拠点も増えています。地理的に分散したチームをうまくリードしなければなりません。

僕にとっては、それが当面の最大のチャレンジになります。

個人的なことでいうと、実は僕、数年前からピアノを始めたんです。独学で練習中ですが、上手に弾けるようになりたいと思って音楽理論の文献も読むようになりました。プログラミングを始めた時と同様、やってみると裏側の仕組みが知りたくなる性分なんですね(笑)。

僕は生来、いろいろなものに興味が湧く人間なのですが、どんな時でも、何に対しても、楽しみを見つけられることが自分の最大の強みだと思っています。ですから、これまでの人生の中で、苦しいとか辛い事があったときでも、その中にうまく楽しみを見つけて乗り越えてきました。

きっと今後も困難にぶつかることはたくさんあるでしょう。でも、そんな時でもきっと乗り切れるだろうと楽観的に考えています。これからも、僕らしく、好奇心を力に変えて、ワクワクするような大きな挑戦をし続けていきたいですね。

取材・文/津田浩司、福井千尋(編集部) 撮影/吉永和久

ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる

野村達雄・著(小学館集英社プロダクション)

ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる

2016年7月、日本でも大ブームを巻き起こした話題のスマホアプリ『ポケモン GO』。 本書は、現在も『ポケモン GO』のゲームディレクターとして活躍する野村達雄氏が『ポケモン GO』開発に至るまでの半生に迫る自伝本だ。中国黒龍江省に生まれ、9歳の時に豊かさを求め日本に移住し、長野で苦学し、Google Japanに入社。その後『ポケモン GO』開発のきっかけとなったGoogleのエイプリルフール企画『ポケモンチャレンジ』を手掛けるなどのエピソードから、野村氏の思考や人格を紐解いていく

こちらの記事はエンジニアtypeのコンテンツから転載しております。元記事はこちら

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この記事を書いた人

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