【金田卓也さん】事業・仲間・お金、、、失敗により全てを失い、1億の損失を抱えた22歳の起業家が、自分の過ちに気づき、半年で事業売却し再起するまで

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金田卓也さんは母子家庭で育ち、13歳の時に家計を支えるため近所の家からもらってきたPC1台でアフィリエイトをはじめて数百万円を売り上げられ、21歳という若さでベンチャーを立ち上げげた後5,000万の資金調達を成し遂げました。

その後、30人近い従業員を抱える企業まで規模を拡大したものの事業に失敗し、1億近い損失を抱え事業・仲間・お金のすべてを失ってしまいました。そんな絶望的な状況の中で、自らの過ちに気づき、再起した後わずか6ヶ月で事業売却を果たされるという壮絶なエピソードをお持ちの金田卓也さんに、失敗から学んだエピソードを伺いました。

プロフィール    ミチシルベ株式会社代表取締役 金田 卓也

1992年京都生。慶應経済学部。

小学生の時に父親が亡くなり、近所のおばちゃんにもらったPCでアフィリエイトやSEOをはじめる。

20歳でスタートアップを創業。ソシャゲ開発に挑戦し、5000万円の資金調達を経て、従業員27人まで会社を拡大するも、大手との競争に負け、1億弱の累損を抱えてあえなく撤退。

その後、5畳のアパートで一人再創業し、車のキュレーションメディア「MOBY」(http://car-moby.jp)を立ちあげ、5ヶ月後に売却。

現在は複数の企業に対してマーケティングのコンサルティングや、メディアM&Aのアドバイザリーを手がける。

 

──起業された経緯を教えてください。

小学生の時に、父親をガンでなくして以降母子家庭として貧しい生活の中で母親と妹と家族三人で支え合って生きてきました。

中学生の時に家族を支えるために、近所のおばさんからもらったPCでアフィリエイトを始めて、お金を稼げた経験がとても衝撃的だったのを覚えています。同時に、自分が尊敬する学研創業者の古岡さんという方が、母子家庭から成り上がった起業家だったということもあり、中学生の時からビジネスの道に進み、世の中に貢献する起業家になりたいという夢は抱いていました。

高校は国立舞鶴工業高専に入学し、情報工学やハードウェアのエンジニアリングを学びましたが、都会に出てビジネスがしたいという思いが強くなり、高校3年生の夏に奮起し、半年間猛勉強の上で慶應大学の経済学部に入学しました。

上京後はとある東証一部上場企業の社長室でマーケティングに関わる仕事を頂き、学費や生活費を自分で工面しながら起業のチャンスを探し続けました。その中で、当時日本最年少でGoogle Advertising Professionalという資格を頂戴する機会があり、20歳の時にはSMBに対してWebマーケティングのコンサルティングを手がける会社を起業しました。

その中で、中学時代からの夢がより具体的になり、IPO(株式公開)ができるような事業を立ち上げて、いずれは母子家庭を支援する財団を作ることが大きな目標になりました。

──21歳の時に会社の評価額が5億円規模まで大きくなったということですが、どのような事業をされていましたか?

日本中のアイドルを集めて、AKB総選挙のようなことが行えるプラットフォームを作り、課金をして応援ができるというソーシャルゲーム的なサービスでした。

今、同じ分野で大手のアイドル応援サービスが人気ですが、それの先駆けとなるようなサービスでした。

2014年6月の開始当初は競合もいなく、コンセプトがおもしろかったこともあり、事業は急成長しました。

その中で、ある上場企業の社長に僕の夢と可能性を見込んで頂き、5,000万円という大金を投資いただけることになったんです。

周りの仲間が数百万円の資金で地道に頑張っている中、ケタ違いの大金が会社に入り、優秀な仲間も揃って、事業は右肩上がり。。。。当時は全てが上手くいきすぎていて、完全に浮かれていました。

まるで、すべてが自分の実力で成し遂げられたかのように、勘違いしてしまったのはもちろん、これまで大きな挫折もなく、順風満帆に進めてきた全てが裏目に出て「自分は天才だ、絶対に成功する」と思い込んでしまったんです。

今考えると本当に恥ずかしい話ですが、当時は天狗になって、とても傲慢な最低の人間になってしまっていました。

大手企業が業界に進出し、実力不足で事業が失敗。事業・仲間・お金、、、全てを失った。

──その後、その事業は順調に推移したのでしょうか?

いえ、もちろん甘くはありませんでした。

しばらく競合不在で事業は急速に伸びていましたが、その年の冬には大手が全く同じUI・コンセプトで参入してきて、あっという間にサービスの顧客が流れてしまったんです。

本当に優秀な経営者ならば、競合が参入することだって事前に予期して、先手を打っておくものです。当時の僕は、慢心と自らの驕りで経営者としてそんな当たり前のことに対する備えも、できていませんでした。

同時に、多額の資金があるからと金に物を言わせて、人材を大量に採用し、4月に5人だった会社が秋には27人ほどの規模にまで膨れ上がってしまい、マネージメントがうまくいかず、組織が機能不全に陥ってしまいました。

思うようにサービスの開発も進まず、バグだらけでユーザーの不満も大きくなり、あっという間にユーザーがいなくなってしまいました。

自分たちが半年かけて築き上げてきたものが、いとも簡単に大手に模倣されて、そしてユーザーもいなくなってしまった。

これは会社のメンバー全員にとって、すさまじいショックでした。責任の所在を追求する話から、今まで溜まってきた不平や不満が爆発し、心を病む社員も出てきました。

何より、僕自身も自分の失敗が認められず、会社に来てはいつも大きなホラを吹いて、強がっているだけの有様でした。

そんな状況に嫌気が刺した社員が、一人また一人と会社を去って行き、年が明けた3月ごろには会社には、ほとんど誰も残っていませんでした。

投資された5,000万円はほとんどなくなってしまって、次の事業も見つからない、会社に行ってもメンバーに強がることしかできない。

すべて自分が招いた状況だったにもかかわらず、自分の弱さを認められなかった僕は、最後まで残ってくれていた仲間のことも信用できなくなり、「お前と一緒にやれない」と自ら相手をクビにして、傷つけてしまいました。

気がつけば友人たちとは絶縁し、会社は5,000万円以上の赤字、あれだけ大ボラを吹いていた株主からの信頼もうしない、わずか1年で一文無しのどん底の状況に落ちてしまったんです。

 

損失1億、四畳のアパートでゼロからの再出発。絶望的な状況の中、ひとりでもがき続けた半年間

 

──そんな辛い思いをしながら、まだ会社を続けようと思ったのはなぜでしょうか。

仲間とお金、個人の財産もすべて失い、自分の人生も完全に行き詰まって、どん底状態でした。正直、逃げたい気持ちしかなくて、大手に就職して拾ってもらおうと転職活動をしたこともありました。

ですが、株主に土下座をしにいったときに「君のことを僕はまだ信じたい」と言ってくれた一言で、「なんとしても恩返しをしたい」と首の皮一枚でやる気をつなぎ留めて、もう一度事業をはじめようと決心しました。

──そんな絶望状況から新しい事業は生まれたと思うのですが、なぜキュレーションメディアを選ばれたのですか?

株主への恩返しをしたいという気持ちから、当時、会社に投資してもらった資金をなんとか最短で返すことを目標にしていました。

そうなると事業や会社を買収してもらうのが、最も現実的な出口となります。短期で売却を狙うにあたり、当時キュレーションメディアがまだブームだったこともあり、大手が未参入だった分野を作ろうと思い立ちました。

特に、マーケット規模が大きく、需要想起できるメディアが強く求められていた車という分野に目をつけ、自分が過去に培ったスキルであるSEOやアフィリエイトの技術を最大限発揮できる領域として、キュレーションメディアなら戦えると判断しました。

──事業は順調に伸びましたか?

もちろん、2度目の挑戦ということもありましたから、前回よりは遥かにうまくすすめることができ、事業も伸びていました。

ですが、同時に僕の精神も限界寸前でした。前の事業に関する紛争なども勃発しており、頭からは常に「裁判」の二文字が離れなかったことや、自分が車の免許も持っていない中で売却するためだけに、中身のないような記事を量産してばかりで、ユーザー本意のメディアをやっていなかった自責の念も追い打ちをかけました。

もちろん、買収される確約があるわけでもなく、ひたすら頂上の見えない登山を続けているような感覚でした。

──考え方が変わった契機があったと聞きました

はい。夏にはうつ病寸前になり、毎日死ぬことを考えながら、地獄のような状況でメディアを続ける中で、父親の命日で実家に帰る機会がありました。

その時、自分の人生を改めて振り返って、自分がどれだけの人に支えられていたのか、どれだけ多くの人の善意で生かされてきたのかに気づき、自分のことばかり考え続けた生き方を深く反省しました。

今の事業も「株主への恩返し」と口先ではいいながら、実は株主にすら見捨てられたくなくて頑張っているだけ、本当は自分が可愛くてやっているだけだったんだと、はっきり認められるようになりました。

その上で、他人の善意を貪るようなことばかりしてきた自分の生き方を悔い改めて、お金を返すことはもちろん重要だけど、これから少しでもお世話になった人に、自分の”生き方”で報いていきたいという気持ちになりました。

そんな中で、ちょうど23歳の誕生日を迎えたこともあり、今までの懺悔ということもあり、Facebookに自分のすべてを打ち明けることにしたんです。

そして、それがきっかけとなって、志を継いでいただける起業家の方と出会い、事業を買いたいというオファーをいただけました。

創業から半年、ちょうど12月には目標としていた、事業売却に無事に成功して長かった2年間の起業に、一旦幕を下ろすことができました。

起業は想像より遥かに険しい道。最後に自分を救うのは”自分が培った技術”だけ。

 

──これから起業をしようとする人がいればどんなアドバイスをしますか。

正直、僕は気軽に起業をオススメはしません。起業は想像するより、はるかに厳しく険しい道です。でも、一方で大きな夢を見られるし、普通に生きていたら見られない世界を見られる。

だから、もしどうしても起業したい、リスクをとってチャレンジしたいという気持ちがあるなら、成功確度をあげられるために、必要最低限 ”自分はこれができる” というスキルを身につけてから、起業に挑むことをオススメします。

その一例が、プログラミングスキルですね。創業期に一番大事なことは「最小投資で、いかにスピード感を持ってPDCAサイクルを回し続けられるか」です。

そう考えた時に、プログラミングスキルがない=自分でサービスを作れないことは成功確度を下げる大きな要因となります。

立ち上げ期には、お金と時間がかかるので外注するわけにはいかず、自分たちでプロダクトを作って、仮説検証を繰り返していくしかありません。

エンジニアが実装をするにしても、彼らの立場にたって自分のアイディアを正確に伝え、要件定義をしたり改善主導をしたりしていかなければならない。

プログラミングスキルは、今何ももたない若者が起業するには必須のスキルであると、断言できます。できなければ、失敗する確率は何倍にもアップすると思います。

 

金田さん貴重なお話ありがとうございました。

 

金田卓也さんのより詳しいストーリーを読みたい方は

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